メディア・リテラシーSIG 第1回研究会 報告
報告者:後藤心平(広島経済大学)
1. 研究会の開催趣旨
まず、本研究会開催の背景と目的についてご説明いたします。
ご承知の通り、現在、SNSをはじめとするインターネット上の情報や、マスメディアの報道が、私たちの思考や行動、とりわけ民主主義社会の根幹をなす選挙での投票行動に及ぼす様々な影響が懸念される状況下にあります。この状況に対し、私たち「メディア・リテラシーSIG」は、研究、教育、そして実務に携わるメンバーが、それぞれの専門的な知見を用い、「メディア・リテラシー」の観点で議論を深めることを目的としています。
本研究会は、年に2回の開催を予定しており、メディア・リテラシーのみならず、政治や選挙を研究対象としているメンバー、メディア・リテラシーに関する実践にすでに取り組んでいるメンバー、そして報道機関の実務に携わるメンバーなど、各立場ならではの知見を他メンバーと共有しながら議論し、社会に向けて提言できる考えを見出すことを目指しております。
今回の第1回研究会は、そのキックオフとなるパネルディスカッションでした。特に、インターネット情報やマスメディアの報道が選挙の投票行動に与える影響について、メディア教育、研究、実務に携わる討論者が、それぞれの専門的知見から「メディア・リテラシー教育」の観点で議論を行いました。
本研究会の特徴は、多様な専門分野の方々が横断的に集まった点にあります。そのため、今回のパネルディスカッションでは、性急に一つの「正解」や「提言」を見出すのではなく、まずは各分野の現状と課題を共有し、課題解決に向けて少しでも前進することを目指しました。
セッションは、まず「選挙における政治情報への接触の現状報告」として、報道実務の現場と政治学研究の観点から2名の方にご報告いただき、その後、それらの報告を受けて全体討論を行いました。
2. 現状報告:選挙とメディアをめぐる課題
最初のセクションでは、報道実務と政治学研究、それぞれの立場から具体的な課題が報告されました。
報告(1) ローカルテレビ局(実務)の視点:広島ホームテレビ 報道部長 立川直樹さん
最初の報告は、広島ホームテレビの報道部長から、特に参議院議員選挙の事例を中心に行われました。
まず、ローカルテレビ局の選挙報道の現状として、全国比例ではなく、あくまで地域の選挙区が中心となることが説明されました。広島選挙区における今回の選挙では、長年続いた保守地盤の中で、特定の政治団体(参政党)が非常に伸びたこと、またSNSが投票行動へ与える影響が増大していることが、従来と異なる顕著な点として挙げられました。
現場の課題として、夕方のローカル情報番組の枠内で選挙ニュースを扱う時間は非常に限られており、候補者の政策を深く掘り下げて伝えることが物理的に困難であるという実態が共有されました。こうした制約の中で、今回、新たな試みとして、放送では30秒程度しか伝えられない候補者の政策に関する回答(例:物価高対策、平和外交など)を、1分程度の長い尺のままYouTubeに掲載し、「生の声を直接聞いてもらう」という取り組みが行われました。
しかし、その結果は、報道機関側の意図とは異なるものでした。
物価高対策や平和外交といった政策に関する動画の再生回数は伸び悩みました。それに対し、選挙関連で最も再生された動画は、政策とは全く関係のない、当選した新人議員の「行ってらっしゃい、頑張ってね」というような「密着風の映像」でした。この結果から、政策を伝えたいという報道機関側の意図通りには、視聴者が情報を受け取ってくれていないという実態が浮き彫りとなりました。この結果を受け、担当者は、政治家の個性や入り口となる情報はSNSで発信されるようになった今、報道機関の役割は「信頼のおけるソース」として「一歩引いたしっかりした政策」を伝えることにあると再確認した、と述べました。しかし同時に、YouTubeのショート動画のような瞬発力のあるコンテンツが、報道側がバランスや公平性を考慮して作成したニュース映像を吹き飛ばしてしまうほどの強さを持っているという、強いジレンマも指摘されました。
さらに、「ファクトチェック」についても言及がありました。地方局レベルでは、マンパワーの不足という現実的な問題に加え、どのネタをファクトチェックの対象として選ぶかという「恣意性」の問題をクリアするのが難しく、本格的な実施は困難であると報告されました。
総じて、信頼できる情報を増やそうという報道現場の試みは、まだ「手探り」の状況であり、次の選挙に向けた課題が残ると報告されました。
報告(2) 政治学・選挙制度(研究)の視点:拓殖大学 教授 河村和徳さん
続いて、拓殖大学の河村先生より、政治学の観点から、SNSが急速に普及する現代において、既存の選挙制度が直面している深刻な課題について報告が行われました。
まず、SNSが選挙を揺るがす中、選挙管理委員会や警察といった「公正公平を守る側」の現場から、非常に多くの相談が寄せられている実態が明かされました。具体的な問題の一つが、公職選挙法に導入された「品位規定」です。この「品位」の定義が非常に曖昧なため、選管や警察の現場は、SNS上の発信に対して取り締まりを行った場合に「裁判リスク」を負うことを恐れ、結果として有効な対策を打てずに困惑しているという実態があります。
次に、河村先生は、日本の選挙制度の歴史的な特殊性を指摘されました。約100年前に始まった日本の選挙運動規制は、欧米とは異なり、「情報量を抑える」ことによって公正公平を保とうとしてきた、という特徴があります。約10年前にインターネット選挙運動が解禁された際、制度設計者が想定していたのは、主にブログやウェブサイトといった「文字情報」でした。しかし、技術の進展により、実際には「動画配信」が主流となり、さらに「収益化(広告収入)」という、選挙運動とは別のファクターが加わったことで、現在の複雑な問題が引き起こされていると分析されました。
さらに、制度疲労とリソース不足の問題も指摘されました。日本には「選挙に金をかけない」という思想が根強くあり、選挙管理委員会の職員は自治体からの派遣(数年で異動するため専門性が蓄積しにくい)、警察も選挙専門の部署があるわけではなく、スキルが上がらないという構造的な問題を抱えています。比較対象として韓国の事例が挙げられました。韓国は中央選挙管理委員会が憲法で独立した強大な権限を持ち、莫大なコストとAIを投入し、プラットフォーマーも巻き込んで偽情報対策を「がっちりやっている」とのことです。しかし、河村先生によれば、その韓国ですら、巧妙化する偽情報に追いつけていないのが現状であり、リソースの限られる日本で同様の対策を行うのは極めて困難であると述べられました。
最後に、日本のメディア環境とリテラシー教育への示唆が述べられました。日本は「公用語が一つ」で「識字率が高い」ため、マスメディアが強力なオピニオンリーダーとして発達してきました。一方で、東南アジアのような多言語国家では、マスメディアが十分に発達する前にSNS選挙が主流となり、結果としてマスメディアが「反エリート」と見なされる状況すらあるとのことです。
日本のメディア・リテラシー教育は、こうした「情報量を制限することで公正を図ってきた」日本独自の歴史的背景とメディア環境を踏まえて考える必要がある、と重要な問題提起がなされました。
3. 全体議論:メディア・リテラシー教育でできること
現状報告を受け、セッションは全体議論に移りました。議論は、地方メディアの課題から、メディアの対立構造の捉え直し、そして本題であるメディア・リテラシー教育のあり方へと展開しました。
議論(1) 地方におけるメディアの課題と模索
まず、ローカル局の報告や河村先生の指摘を受け、地方におけるメディアと政治情報の課題について議論が深まりました。
河村先生からは、地方には選挙制度や地方政治を的確に解説できる政治学者が不足しているという、研究者側の課題が追加で指摘されました。研究者が東京中心に集積し、地方のローカルな問題に関心が向かなくなっている傾向があり、これが地方の政治報道の質にも影響しているのではないか、という問題提起です。これに対し、ローカル局側からも、「何かしなければ」という強い課題意識は共有されていることが述べられました。一例として、富山のチューリップテレビが調査報道でスクープを放ち、それが番組として高く評価された事例(※『はりぼて』)などが引き合いに出されました。テレビとウェブの連動、例えば取材源はウェブで確保し、深く掘り下げた内容をテレビで放送するといった、新たな報道の形を模索し続けている現状が共有されました。
議論(2) 「オールドメディア vs SNS」の構図の再考
次に、議論は「オールドメディア 対 SNS」という、昨今語られがちな単純な対立軸の捉え方そのものへと及びました。
一例として、東京都知事選における石丸氏の躍進が取り上げられました。
彼の躍進は、SNSの力だけで説明できるものではなく、伝統的な「反現職票」の受け皿として機能した側面が強いのではないか、と分析されました。また、注目すべき点として、石丸氏の事例や、先の報告にあった参政党の躍進は、マスメディアが彼らの動向を取り上げる(あるいは、あえて取り上げない)ことによって、結果的にSNS上でも流行するという「連動性」が見られる点が指摘されました。この点について河村先生からは、参政党のケースは、反ワクチンや反マスクといった特定のイデオロギーを持つ人々にとっての「受け皿」として機能した側面も強く、単純なメディア露出の問題だけではないという分析も加えられました。
さらに、参政党などの躍進に見られるもう一つの重要な特徴として、彼らが選挙時だけ活動するのではなく、「平時」からSNSを活用してコミュニティを形成し、思想的な基盤を作っている点が挙げられました。これは、選挙期間中だけの報道に終始しがちな従来のメディアのあり方への問いかけともなりました。
この議論を通じ、「報道しない自由」や「報じ方のバランス」といった、オールドメディア側が従来から抱える課題も、SNS時代において改めて浮き彫りになったと言えます。
議論(3) メディア・リテラシー教育のあり方
最後に、これらの現状報告と議論を踏まえ、本パネルディスカッションの核心である「メディア・リテラシー教育のあり方」について、議論が収斂していきました。
まず、急速に変化するメディア環境(次々と現れる新しいプラットフォームやAI技術)に対し、知識を一方的に「教え込む」という従来の教育スタイルでは、もはや追いつかないという限界が、登壇者間の共通認識として確認されました。教育現場の実践に携わる登壇者からは、知識の伝達ではなく、「対話」を通じて実践していくアプローチの重要性が提起されました。
単に「これはフェイクニュースだ」と正解を教えるのではなく、「なぜそう思うか?」「その情報源はどこか?」「反対の意見はないか?」を問いかけ、考えさせるプロセスそのものが重要であると強調されました。
さらに議論は深まり、その「対話」は、生徒の認識を問うだけでなく、教える側の先生自身も「自分の認識(バイアス)」を問われるような、双方向のものでなければならない、という点が指摘されました。
そして、私(モデレーター)からも、「教育」という言葉自体が持つ一方向的な響き(上から下へ教える)すら、この分野においては見直す必要があるのではないか、と投げかけさせていただきました。これに対し、他の登壇者からも「共に学び合う」という姿勢が重要であると賛同が得られました。
結論として、メディア・リテラシーの問題は、子供たちだけに知識を「教え込む」問題ではなく、民主主義の当事者として、社会全体が(大人も含めて)「対話」を通じて「共に学び合う」姿勢で取り組んでいくべき課題である、という方向性が共有されました。
4. 結論と今後の展望
今回の第1回研究会では、ローカル局の選挙報道におけるジレンマ、SNS時代に選挙制度が追いついていない制度疲労といった、実務と研究の両面からの具体的な「現状」が、非常に生々しく共有されました。それらを踏まえた議論の結果、私たちが取り組むべきメディア・リテラシーの課題は、単なる知識伝達(教育)の問題ではなく、民主主義の当事者として社会全体が「対話」を通じて「共に学び合う」べき、継続的な課題であることが確認されました。
第1回研究会として、多様な専門分野の方々の視点が交差し、課題解決に向けた重要な論点を共有できた、非常に有意義な場となりました。今後、この議論をさらに深めてまいりたいと考えております。

